あまり知らない卸町について。
きたむらかずふみ/協同組合 福山卸センター専務理事。1951年生まれ。大学卒業後、協同組合事務局員となる。以来、44年に渡り卸町の移り変わりを見てきた。
福山港のすぐ近く。「STOREHOUSE」の会場もある卸町は、かつて繊維問屋を中心に栄えた場所です。しかし「卸町とはどんな町か」「そもそも卸団地とは何か」は、あまり知られていないのではないでしょうか。そこで、1974年からこの町の移り変わりを見てきた、福山卸センターの北村和文専務理事に聞いてみました。
― ― 北村さんはいつから卸町に携わっているんですか?
北村:1974年4月、22歳で大学を卒業して前身となる福山卸商業団地組合に入り、福山卸センターの設立準備に取り掛かりました。福山卸商業団地組合の事務所は、福山駅前通り沿いにあった福山商工会議所の隣のプレハブでした。
― ― 福山卸センターとは?
北村:福山卸センターは、卸団地に集まる企業の発展のための活動を目的とした協同組合です。業務は、組合員の福利厚生、国や県から流れてくる情報の提供や新規組合員の獲得、組合資産の活用、イベント開催など多岐に渡ります。正式に福山卸センターができたのは1974年10月。それまで福山には、ひとつの産業を一区画に集中させ、物流やインフラの効率化を図った「団地」がありませんでした。今の卸町にいる企業は当時、駅前や市内に点在していたのですが、物流トラックが渋滞を引き起こすという問題がありました。そこで、交通の妨げにならないようにと、この場所に卸売業者を集めた卸団地を作りました。もともとの町名は新涯町で、市議会へ申し立てをして「卸町」という名前が生まれました。
― ― 卸町では、長い間イベントをしてましたよね。
北村:新しくできた町だったので、タクシーの運転手でさえ知らなくて、テレビCMやチラシの配布もたくさんやりました。卸町へ来てもらおうという活動の一環で、5周年に「青空市場」を始めました。一般の方に来てもらえるよう、バザーや屋台、日産車の試乗展示会なども用意しました。青空市場は毎年1回開催し、10周年を機に市民参加型の「ふくやま卸センターまつり」に変わり、2006年に終わりを迎えるまで21回開催。多いときは、約10万人が訪れました。2000年からは「おはよう卸センター市場」という朝市を毎週土日に開催し、2011年まで続けました。
― ― その後、STOREHOUSEが始まりました。
北村:STOREHOUSEが始まる前は、どんなものになるか期待を込めて見ていました。開催後は、卸町にも、一般の方々に商品を売る小売店を受け入れていく必要性を感じました。以前は卸町の物件の賃貸は卸売業を中心に募集をしており、また、1棟貸ししか行っていませんでした。そういったルールを徐々に緩和していくことができ、その結果、小売業の店舗にも入ってもらいやすい場所になってきたと思います。
― ― 来年は45周年です。今後は?
北村:卸町の企業の若い経営者たちにも関わってもらって、10年先、20年先の卸町をどうしていくかを話していきたいと思っています。例えば、同じ卸町で商売をしている企業で新しく事業を起こしたり、卸町の外の企業と手を組んだり、卸町の発展につながる事業であれば融資もできると思っています。みなさんが新しい可能性を検討していくなかで、役立つことができる福山卸センターでありたいですね。
協同組合 福山卸センター
1974年10月、新涯町だった場所が繊維業中心の総合卸団地「卸町」として名称変更。現在の組合員は53社(2018年8月)。卸売業や小売業などさまざまな業種が加入している。
住所:福山市卸町14-1
TEL:084-920-3500
http://www.kyosai.or.jp/~oroshi49